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​光の向こうへ
写真・文 中野晃治

家族で福井へ旅行に行って来た。2泊3日。

三世代で旅行に行くのは初めてのことであ

る。福井は昨年結婚した息子のお嫁さんの

里で、ご家族と一年ぶりに再会できた。お

祖父さんやお祖母さんにお会いできたのも

良かった。

 

4月中ばであったが、場所によってはまだ

桜が咲き誇っており、白雪で覆われた山々

が気高く聳えていた。娘は東京から開通し

たばかりの北陸新幹線に乗車し、朝9時半

ごろに越前たけふ駅で合流。

 

初日は越前和紙で紙漉きをして団扇を作っ

て、その出来具合をお互いに批評し合ったり、趣のある老舗で越前そばと焼き鯖寿司

を堪能したり。午後からは『福井市愛宕坂

茶道美術館』で開催中の『日本茶々茶 お

茶紀行 幻の茶を訪ねて』へ。縁あってわ

が家の茶摺り舟が展示されていたので、そ

の様子を観ることが出来、しかも解説中にちょうど私たち家族が現れたので学芸員さ

んも観覧客の皆さんもびっくり。いっしょ

に楽しい時間を過ごすことができた。夜は

日本海の漁港から直送のホタルいかや鬼エ

ビなど、とれとれの魚介を堪能。そのあと

は遅くまで家族でカラオケ大合戦となった。

懐かしい昭和レトロな展示が圧巻の歴史博

物館、名物ソースカツ丼に、大野の丁稚羊

羹や辞書のように厚いお揚げ、旅館で見た

写真集『大野へ帰ろう』、地酒の飲み比べ、

巨大で、また芸術的ですらある恐竜博物館、火曜サスでお馴染みの東尋坊、海を眺めな

がらのイタリアン、芦原温泉、8番ラーメン……と2日目、3日目もガッツリと旅を

満喫し、いい思い出になった。息子夫妻に

感謝である。

 

              2024.4.28

 

 

 

ジャズドラムに今夢中になっている。シン

バルレガートに始まり、2拍目と4拍目の

ハイハット、バスドラのフェザリング、ブ

ラシ奏法、スネアロールの練習、三拍子の

練習…と毎日が新鮮で飽きない。

 

なんならいくらでも叩いていたい。が、さ

すがにそれでは仕事が出来なくなるので、

1日2時間以内に抑制している。大体朝ご

はん食べた後、昼ごはんの後、夜である。

 

食卓の横に置いていつも弾いていたギター

がスティックに変わった。ドラマの主題歌

やCMに合わせてメロディを弾くのではな

く、リズムを手で取るようになった。

 

MACにイヤホンを繋ぎ、ジャズのスタンダ

ードを練習している。you tubeに上げてい

るピアニストの方の演奏に合わせて勝手に

ドラムを叩くのだ。つまりは、セッション

である。これが楽しくて仕方ない。

 

近いうち本当にセッションもする予定であ

る。月に一回開催している仲間内の焼肉ラ

イブで、地元のピアニストとジャズを2曲

即興演奏する。56歳、新しい人生のヨロ

コビにわくわくしている。

 

                                                      2024.4.8    

 

 

人生は長いようでいて、何かを成し遂げら

れるのかと問われれば、ただうつむくしか

ない。時間はあまりに無惨に過ぎていく。

ふらふらしているうちに年をくってしまった。それでも諦めたわけでない。

今日も生きて一進一退している。

 

こうなれば長期戦である。とにかくまずは長生きする。と、妻には言い訳する。

いや、しかし長生きこそ簡単にできるわけ

でない。妻からすれば、不健康も省みず好き勝手に生きてきた分際で、今さら何をである。でも妻は、昔からただ僕の話を静かに聞いてくれている。

 

標高約400メートルの山の家。

ここから眺める集落のあちこちに咲いた桜がかわいい。何も言わないけれど、春が来るたびに咲いてくれる、わが家の桜のように私も生きられるならと願う。亡き祖母が植えた木。16年間、一緒に生きた愛犬の眠る木。

きっと私は何も成し遂げられないのだろう。でも一年に一度、自分なりに精一杯花を咲かせてみようと思う。 

 

               2024.4.3 

                                                  

桜並木が川の岸辺に続く。その川を遊覧船

が通ったあと、波は光を連れて、揺れなが

ら桜並木の対岸にいる私たちの方へと押し

寄せてくる。きらきらと春の光の粒を無数

に散りばめながら。

 

岸壁に波が当たると今度は桜波木の方へと

光の波は帰っていく。それは上下に曲線を

描きながら散歩途中に腰掛けた私たち夫婦

の目を楽しませ、穏やかな気持ちで包んで

くれる。

 

遊覧船のあとやってきた数人乗ったボート

は、対岸の木が繁る岩場になぜか着けると

舳先の方から一人の男性が降りていった。

岩場にへばり付くように手足を動かして、

蜘蛛のように移動している。

いったい何をしているのだろう。

 

すると妻があっと何かに気づいた。「ゴミ

を拾っているんだと思う」。しばらくして

白いビニール袋のようなものをその人は手

にすると、ボートを目指して戻っていった。

 

ボートはゆっくりと動き始める。そう思っ

て眺めていると、乗っている人たちはみん

な川にゴミが浮かんだり、岸に引っ掛かっ

ていないかよく観察しているように見える。

休日にこんなふうにボートで川を清掃して

いる人たちにまじかに出会ったのは初めて

だった。

 

清掃をしている人たちが明るい表情で、会

話を弾ませているのを眺めながら、ごくろ

うさまですと心の中で頭をさげた。家族やカップル、若者らが憩う桜並木の前の川を、ボートはゆっくりと過ぎていった。

 

 

        (3.16散歩)2024.3.30

 

白いコンクリートの地面に落ちた自分の影

が少しずつ薄まっていく。黒からグレーへ。やがてそれは5%ほどのグレーへ。おひさまに雲がかかったのだ。

 

あえかに消えていく自分の影をじっと眺め

ながら、不思議な感覚に襲われる。こんな

風に影が失せてしまうのは子どものころに

見たような記憶がするが、大人になってか

らはあっただろうか。

 

影は再び濃さを戻していく。ああ蘇ったと

自分の影を眺めながら小学生のような感慨

を抱く。その横には竹ボウキの影も出来て

いる。

 

この春は暖かいのか寒いのか。身体が毎日

の気温にうまく付いていけない。椿の花が

ひとつ、ふたつ、みっつと落ち始めた。それに呼応して椿は次々と花を咲かせ続けている。

 

                                                 2024.3.23 

 

お風呂は薪で沸かしている。かれこれ20年

になるだろうか。父が裏山で木を伐採し、40cmほどの長さに切り揃え、積み上げて保管してくれている。

 

薪の太さは大中小あり、小枝ばかりという

のも大きな木箱に放り込んである。あと着

火剤として重宝する乾いた杉葉も木箱に入

れている。

 

玄米の入っていた厚手の紙袋を手に散歩つ

いでに、道端に落ちている乾燥した杉葉を

放り込んでいく。この杉葉があるのとない

のとでは、火の着き具合が全く違ってくる

からだ。油分が多いのですぐ燃え上がる。

 

小枝を入れ、細めの枝、そして細めの薪と

順に焚べていき、竹筒で空気を送れば、火

力は自然と力強くなっていく。冬の冷たい

山水で張ったお風呂でも30分もすれば沸く。

 

もう二人とも社会人になったが、子どもた

ちも小さい頃から杉葉を集めたり、薪でお

風呂を沸かすのを手伝ってもらった。まあ

子供たちにすれば、そんなことをしないと

入れないお風呂に日々不便さを随分と感じ

ていたようだが…。ライフスキルのひとつにはなっただろう。

                     2024.3.11

 

 

 

 

新しい世界に飛び立つには、力がいる。

振り返れば、そんな力などないのに突き

進んできたな、と笑うしかない。足りて

いない力を与え続けてくれた人に改めて

感謝したい。

 

今だに、力はないが、誰かの力に、少し

はなれる。そして相変わらず、誰かに助

けてもらって今日も生きている。「自力」

が大事なのだと若い頃は信じていたが、

なんのことはない、私は「他力」の恩恵

をたっぷりとあずかりながら生きてきた

のだ。

 

もうすぐ卒業シーズン。春は別れではなく

旅立ちの季節。未だ見ぬ場所へ。これから

出会う人へ。進みたいその光に向かって。

 

あなたのその背中に勇気づけられている。

 

                                                   2024.2.29

 

久しぶりに痛風で歩きづらい。右足の甲

が赤く腫れ上がって、ぱんぱんになって

いる。こんなに膨らんで…と自分の足を

見てつぶやく。

 

診察を受け、薬をもらう。飲むが一向に

治らない。むしろ腫れは右上がりに。痛

い痛いと嘆いていても始まらない。でき

るだけ無理をせずに、足をそう使わない

仕事をする。

 

そろそろ飲酒も潮時か。年々、思う。こ

れを機会に休酒してみようか。1月はイ

ンフルエンザに罹ったついでに10日ほど

休酒してみたが、なんとなくその間、体

が心地よかった記憶がある。

 

酒がないと人生がつまらないような想い

が長年あったが、この頃は少し違ってき

ている。酒は旨いが、しらふというのも

案外いいものだと気づき始めている。

 

何かを辞める練習を、始める年かもしれ

ない。

                                               2024.2.23

      

 

喫茶店などでコーヒー豆を買って車で帰

る時、こうばしい豆の香りがする時って

ありますよね。あの程よい苦味と甘みと

酸味が溶け合ったような匂いが好きだ。

帰り道が幸せになる。

 

最近またよくコーヒーを飲むようになっ

た。いろんなお店のブレンドを買うのも

楽しみ。基本的に豆で買ってきて、家で

淹れる時にミルで引いている。

 

そういえばバタートーストやはちみつト

ーストも最近よく食べている。山の上に

暮らしていると、気軽に喫茶店へという

わけにはいかない。心のどこかで、喫茶

店気分を欲しているのかもしれない。

 

プレーヤーの針を落とし、ジャズのレコ

ードを掛ける。たとえばクリス・コナー。

ストーブの上にはポットから湯気。ブラ

ジルとグァテマラを1:2でブレンドし

て豆を引く。昇り立つ豆の香り。ペーパ

ードリップするこの時間も味わい深い。

 

             2024.2.12

 

 

久しぶりに、ぬか漬けを始めることにし

た。2年ぶりになるだろうか。以前はぬ

か床を自分でイチから作ったが、今回は

ラクしてぬか床を産直市で買ってきた。

 

早速、白菜を漬けてみる。ほんの少しだ

が、出来上がりが楽しみだ。漬物では白

菜がいちばん好きで、鰹節と刻んだ鷹の

爪をほんの少し、スダチ果汁を搾り、熱

々のご飯と食べる。

 

モッツァレラチーズや半熟ゆで卵もおい

しいらしいが、まだ挑戦したことがない。

感覚的になんだか怖いというか躊躇した

ままである。でもいつか試しに漬けてみ

たいと思っている。

 

おいしく漬けている叔母や近所の方のぬ

か床を分けてもらって、ぬか床をブレン

ドしたいとも思っているが、これもまだ

実践できていない。今回は、新しいぬか

漬けの「とびら」を開けることが、さて

出来るだろうか。

 

                                               2024.2.1

何年前のことだろう。もう忘れてしまっ

た。妻とえべっさんに行くのが毎年の恒

例で、ある年、目配せで私が「買ってお

いて〜」と妻に伝えたところ、妻が勘違

いして、長い長い列に並び、社務所で買

ったのが10cmほどの「ぽっちゃりした、

おじさんの人形」だった。

 

手渡された時、「えっ何!?」と思った

が、そのおじさんのつぶらな瞳にやられ、

これではないと言えなかった。その様子

を見て「あれ、これでないん!?」と妻

が気づいたが、いやこれも縁と思えた。

 

にしても。この、おじさんの人形は何者

なのか…。右手には、軍配のようなもの

を持っているから、何か勝負事の神様だ

ろうか? 妻に聞いてみるが全く分かっ

ておらず、「いや、父さんが好きそうな

人形やなと思って、てっきりこの人形を

買って欲しいんやと完全に思い込んでた」

と笑顔を浮かべる。釣られて、こちらも

笑うしかない。

 

あとで巫女さんに確認したところ、この

ぽっちゃりとしたおじさんは「火の神様」

とのこと。というわけで、その年からわ

が家の台所のお荒神棚には、このおじさ

ん、いや火の神様がちょこんとその一角

を陣取ることになった。

 

後に確認したところ、この火の神様は七

福神のひとり「布袋さん」であることが

判明。新年とともに古い布袋さんはお返

しし、新しい布袋さんを求め、サイズも

大きくしていくことに。

 

お荒神さんをお祀りする時は、布袋さん

とはいつも目が合い、そのぽっちゃりと

した体型とつぶらな瞳に夫婦ともに癒さ

れ、わが家をいつも守ってくれている今

やアイドル的存在である。

 

それが今年は失敗してしまった。最終日、

古いのを返したあと、新しいのを買い求

めようとしたら、社務所にはもうその姿

がなかった。ない。いや。えっ!? 巫

女さんに聞くと、「今年はもう売り切れ

てないんです」。

 

今年、僕らはどうしたらいいの…。おじ

さんのいない、いや布袋さんのいない一

年。今年は仕事で一緒にえべっさんに行

けなかった妻に、実は、と伝える。する

と「えーーっ!!!」と、それは悲しい

顔を浮かべる。心にぽっかりと穴が空い

たままである。

 

とにかく。今年を乗り切るしかない。お

札(ふだ)を買い求めて、お祀りする。

 

                 2024.1.23  

 

 

 

 

 

 

いよいよ本格的に明日から仕事始めと勢

い込んでいたのに、6日からインフルエ

ンザに罹ってしまった。38度から40度の

発熱が3日ほど続いた。

 

40度の熱はさすがにきつい。おまけに体

の関節のあちこちが痛い。咳も出る。大

広間に隔離される感じでひたすら寝る。

随分長い間寝たと思ったら実質30分しか

眠れていない。訳のわからない嫌な夢ば

かり見る。

 

妻がお粥さんを作ってくれる。きつねう

どん。桃の缶詰。林檎の切ったの。味覚

は弱まっているがかろうじてあるのが救

い。湯たんぽが気持ちいい。温まる。

 

夜中目が覚め、トイレへ。台所を通るの

で明かりをつける。板間が裸足に冷たい。

スリッパを探すのももどかしく…。用を

終えて、台所の明かりを消す。真っ暗と

いうのも寂しいかと思い、豆電球にする。

が、暗闇に浮かぶ豆電球を見ていると、

なんだか余計にわびしくなった。

あまりにしんどいので最初は解熱剤を飲

んでいたが、2日目からは辞めて自然治

癒力に任せる。梅エキスをとにかく舐め

る。できるだけ水を飲む。3日目の夜、

40度をピークに熱は自然と下がっていっ

た。翌朝、ぬるくなった湯たんぽが布団

の下の方で見つかった。

               

                                                 2024.1.20

 

 

 

 

 

家のどこに「窓」を作ろうかと最近よく

夢想している。ひとつは二階の書斎。窓

は二つすでにあるのだが、もう一つ壁を

抜いて設けたいと考えている。小道が見

えるように、野鳥をもっと観察できるよ

うに、朝の光がもっと入るように窓を据

えたいなと考えている。

 

部屋の中にいて山の中そのものにいる一

体感がもっとほしいのかもしれない。

 

書斎はもともと蜜柑倉庫の2階だった。

そこを父と一緒に部屋にした。というか

父に教わりながら、桟(さん)を作り、

壁を抜き、障子戸やガラス戸をはめ込み、

土壁は漆喰塗りし、天井板を外して解放

感を持たせ、部屋を作った。建具は父が

個人的に仕事仲間等を通じて集めていた

ものだ。

 

父に倣って、昔懐かしい昭和初期的なガ

ラス戸など、私も建具を個人的に集めて

いる。

 

もう一箇所窓を設けたいのは、台所兼食

卓だ。壁の下方に、はめごろしで入れた

いのだが、ずっと悩んでいる。それより

も今すでにある窓辺にカウンターを作り、

そこに椅子を並べるのがいいかな…と考

えたり。古民家のいいとことは、自由に

空想を働かせ、リノベーションにもつな

がる可能性があるところかもしれない。

 

家もコラージュやパッチワークのようで

いいと、私は思っている。実際、わが家

の台所兼食卓の板間は、いろんな人から

もらった木材等の継ぎ接ぎ、よく言えば

モザイクだから。

             2023.12.21

 

 

ないならないで違う方法で試してみる、

いい機会かもしれない。お好み焼きを作

りかけて、お好み焼きソースがないこと

に気づいた。仕方ないので醤油で代用す

る。

 

鉄板の上に生地を丸く薄めに敷き、その

上にどっさりと千切りしたキャベツをの

せる。お好み焼きは、粉もんだけど、キ

ャベツをたくさん食べる料理、というイ

メージが私にはある。蒸し焼きされたキ

ャベツは甘くておいしい。

 

そのキャベツの上に鯖の水煮をほぐした

のをたっぷりとのせ、天かす、チーズを

ちらしていく。生地を掛けて、ひっくり

返して焼き、卵を割ってすぐに目玉焼き

の黄身部分を崩し、その上にお好み焼き

をかぶせ、これまたすぐにひっくり返す。

 

醤油をかけて味付けし、マヨネーズ・ビ

ームで装飾し、鰹節とすじ青のりを振り

かけて完成。具材が鯖だけに醤油がよく

合っておいしい。吉野川産のすじ青のり

の磯の風味がたまらない。徳島に生まて

良かったとしみじみ思う瞬間。和風お好

み焼き、もしかしたらこちらの方が好き

かもしれない。

                                                  2023.12.14

 

できるだけ自分たちで作ったもので暮ら

すこと。そしていろんな友人が作った作

品を暮らしの中でギャラリーのように、

さらりと交えていくこと。わが子が作っ

たものを部屋の中にたくさん飾ること。

 

じいちゃんやばあちゃんが作ってくれた

ものの道理を学ぶこと。隣近所の人が作

ってくれたものを周りの人にも紹介する

こと。

 

世界は作られる。僕らの手で。

世界は変えられる。僕らの暮らしで。

世界はほんの少しかもしれないけど、

おもしろくなる。

 

できるだけ自分たちで作った野菜や果物

や自分たちでとった魚や肉を食べること。

そして食卓に友人が作った器やワインや

スイーツを交えること。わが子にも一緒

に料理を手伝ってもらうこと。

 

じいちゃんやばあちゃんともいろんな料

理をシェアすること。隣近所の人もたま

に呼んで一緒に飲んで歌うこと。

 

世界は作られる。僕らの手で。

世界は変えられる。僕らの暮らしで。

世界はほんの少しかもしれないけど、

おもしろくなる。

                                                     2023.12.7

 

 

 

食卓のある窓の裏山側に数年前から野鳥

が休息できるように木の台を作ったとこ

ろ、最近よくジョウビタキが遊びに来て

くれる。

 

朝、食事をしていると、そこにかぼそい

足で留まっている。キョロキョロと小さ

な頭を動かしながら、冬の枯れた木々周

辺にいる、食料となる虫でも探している

のだろう。

 

ジョウビタキはあまり人を怖がらない。

案外そばに寄っても、写真を撮らさせて

くれる。なので食卓にはいつもカメラを

常備している。

 

12月に入ってずいぶんと冷え込んできた

が、風のない昼間はおひさまが暖かい。

このところずっと慌ただしく過ごしてい

るので、無為なひとときがたまらなく心

地いい。

 

夕暮れ時には西側から差し込む山の光が

集落の家々に点在するイチョウの黄葉を

透かし、やさしく輝かせてくれる。

                                                 2023.12.2

 

 

音楽や料理、文学、映像…といったカル

チャーはその土地に暮らしている人たち

の意識や行動で、過去と未来、空間を超

えて少しずつ醸成され、同時代性をもっ

て豊かに進行していくものだと思う。

 

人が動く時代である。都会から田舎へ。

世界から山間へ。あるいはその逆もある。

人口1400人の上勝でも移住者が増えた。

欧米アジア日本各地から…。そこで生ま

れる交流、意識の変革や新たな挑戦、思

考するプラットフォーム、さまざま場を

創出するエモーション…。

 

これは上勝にもともと暮らしてきた方、

その下の世代、移住した方、その先で繋

がってきた方たちがともに紡いでくれた

お蔭なのだ。自身のアイデンティティを

大切にすること。他者への敬意、過疎地

への想い、ここ上勝に暮らすということ

が、そもそも自身に問いかける意味…。

 

「市場」はひとまず置いておいて、さま

ざまなカルチャーは生活をベースに生ま

れる遊びごころだから、今私たちが寝起

きして食ってる場所はその多様性の源泉

だ。面白くするかどうかはつまり自分た

ちだ、と改めて思う。

 

​                       2023.11.26

 

 

今年、銀婚式を迎えた。25年になる。月

日の流れを思うと、あっという間だった

ような気もするが、その途端、記憶の泉

からいろんな出来事が矢継ぎ早に溢れ出

し、濃密だったと実感する。妻と一緒に

歩んできた時間を振り返ると懐かしい。

 

こんなことを思ったのも、妻が夜中に台

所で倒れたからだ。深夜2時に「救急車

を呼んで」と台所から寝室に聞こえてき

た。寝ぼけ眼で台所に駆けつけると、妻

が板間に横たわっていた。

 

意識はあるが、心もとない。聞けば、腹

痛と嘔吐、吐血したらしい。悪寒も。す

ぐに救急車を呼ぶ。イレウスの疑いで、

一週間の入院。点滴を受け、絶食に。精

密検査の結果、異常は見つからず、無事

体調も回復したのは本当に良かった。

 

50歳を過ぎた頃だろうか。奇妙な話だが、

私の体のところどころは妻で出来ている

ような錯覚がある。私という器の、欠け

た箇所を金継ぎするように妻がいろいろ

と埋めてくれたお陰で今があるように思

うのだ。

 

考え方や感じ方が同じでなくて、若い頃

はそれが少しさみしく感じたこともあっ

たが、違っているからこそ気づかされる

ことの方が多かったと今なら思う。自分

勝手にまあまあいいと思っていた器は、

実際にはまったくそうでなかったのだ。

 

妻は、私を人生の戦友とこの頃は感じて

いるという。今年、息子は結婚し、娘は

社会人になった。あと5年すれば私も還

暦か。どんな老夫婦になっていくのだろ

う。今宵は台所から聞こえる音がいとお

しい。

​                         2023.10.24

 

このところ農作業と取材や編集で朝が始

まり、さまざまな雑事と絡み合いながら

も慌ただしく日々が過ぎていく。夕方に

は主に農作業でクタクタになっている。

その後も取材等で働くこともある。

何事も慌ててはいけない。その時間を楽

しめなくなるからだ。忙しくてもお昼は

ご飯を炊き、味噌汁を作る(たいていは

朝食時の残りがあるが)。そして今ある

材料の中で食べたいなと思う主菜を作る。

鯖を焼くとか簡単なものだけど。

 

食事は、何もかも面倒くさいなと思う時

こそニュートラルな状態に戻してくれる

大切な時間だ。ちゃんと作ると、ささや

かな食事でも笑顔になる。

 

冷蔵庫に何もないなと思った時は、おむ

すびを握る。梅、鰹、昆布。ご飯がなく

パンがある時は、きゅうり、ハム、卵の

サンドウイッチ。生姜や胡麻、大根おろ

しと、つけだしで食べる湯だめうどんな

ど。

 

その時々でほんの少しだけ工夫して作る

ことで、「やるやん!」と自信になる。

この自信が結果、午後からの仕事の励み

になっていると思う。たまの外食の日も

もちろんやる気になる。

 

                                                 2023.10.3

 

 

 

ごっとん、ごっとん、どすん、どすん。

ごっとん、どすん、ごろごろ。

 

ごっとん、ごろごろ。

ごっとん、どすん、ごろごろ。

 

毎夜暗闇の中、寝床で聞く音・・・。

 

山に帰ってまだ間もない頃は一体何が起

こっているのか不明でただただその音に

驚くばかりであったが、食卓に籠盛りに

なった栗と、毎夜のどっすんごろごろが

繋がった朝、ああ、栗だったのかと気が

抜けた。

 

祖母が植えた栗の木。

今年も栗の降る夜が来た。

 

標高400mの山の上に嫁いだ明治生ま

れの祖母は、車もない時代、容易に下の

町まで買い物に行けない。だから家の周

りに季節折々の微笑みのもととなる木を

植えた。

 

夏みかん、やまもも、グミ、枇杷、柿、

栗、みかん、金柑、八朔…。

 

ちょうど今、裏山の栗が降る毎日。

鬼皮をむき、素揚げにして食べる。ほく

ほくとして、美味しい。

妻が渋皮も剥いて甘露煮を作って瓶詰め

にしてくれる。今度アイスに添えて食べ

ようと話す。

 

今夜はもちきびに、茹でた落花生、栗の

素揚げと好きな旬のものばかりで晩酌し

ながら、縄文人になった気分だ。

             2023.9.21

 

日中は、花卉園の整備を続けている。草

刈りに始まり、かずら取り、余分な枝打

ち、場所によっては細い笹竹が園地に生

えてしまっている箇所があり、それを除

去するのに随分と骨が折れた。

それでも整備して日当たりと風通しの良

くなった花卉園を見ると、心地よい。汗

まみれの夕暮れ、久しぶりに薪風呂の湯

につかる。

 

鹿肉のチャーシューを肴に酎ハイ(炭酸

割り)を呑む。こうして日々、山の肉や

魚や山菜や野菜、湧水を飲み、薪で調理

したり、木をくべて風呂を沸かして暮ら

していると、「だんだん自分の身体が山

になっていく」。山と同化していく、そ

んな想いがある。

 

今朝は80歳代の近所のお母さんに会った。

今も現役で棚田を守り、毎年お米を家族

とともに育てている。ちょうど畦道の草

刈りをしているところだった。鎌での作

業になるので腰は屈んだ状態になる。

下の田んぼから順々に上の田んぼまで、

屈んだ状態でお母さんは草刈りを続けて

いた。大変な労力だ。

 

お米には、その字を分解しても分かるよ

うに、出来上がるまでに八十八の手間が

掛かっているという。

山のひとを撮り重ねていきたい。そして山

のことを記していきたい。こみ上げるよう

にしてここ数週間前から得体の知れない熱

いものが久しぶりに自分の中から湧き出し

ている。

                          2023.9.8

 

 

 

初めてオリジナルの歌を作ったのは、小学

4年生の時だった。お年玉で買った6千円

のギター。コードもほとんど弾けないまま

だったが、作詞して簡単な自己流の和音で

『君に』というオリジナルソングを作った。

うれしくて両親に聞いてもらったのを覚え

ている。

 

小5の時だったか、キヨシローが大好きで、

武道館ライブがテレビで流れた日、ラジカ

セを前に置いて録音した。当時の夢はバン

ドマン。ドリフやプロレス、生ドラマ『ム

ー』や伊藤四郎や小松政夫の『デンセンマ

ンの電線音頭』etcにも夢中だった。

 

中学、高校、大学とバンドは続けてきたが、

オリジナルは大学以来作らなくなっていた。

たくさん買い集めていたレコードもオーデ

ィオも納屋に置いたまま聴かなくなってい

た。ただギターは相変わらず毎日のように

弾き、即興で飽きもせず作っては集会所の

飲み会で地域の人たちを前に歌っていた。

 

40歳頃、テレビディレクターだった北澤

(現在、東京で再びディレクターとして活

動中)が上勝に移住したのを機に、そんな

私と意気投合し、またレコードを引っ張り

出し、上勝の歌姫あやちゃんやバイオリニ

ストの荒さんと共に音楽談義に花を咲かせ

交流を深め、やがて再びオリジナル曲

を作るようになった。

 

2020年、こーちゃんずの初アルバム『上勝

GO!GO!』を制作・発売した(現在サブ

スクでも配信中です)。人の縁は不思議な

ものだなと思うと同時に、北澤をはじめ、

それ以前また以降出会ったたくさんのみん

なには心から感謝している。

 

今回、親友の啓ちゃんのyoutube番組の応

援ソングを作らせてもらった。小学生の時

に始めたギターや歌への想いが、こうして

田舎での毎日の中で今も続いて、いや続け

られていられていることに、幸せを感じて

いる。そして今もデタラメなコードを作曲

にできるだけ使っている。

 

              2023.8.25

この夏は地元の『お盆の集い」が復活した。

コロナ禍を越え、4年ぶりの開催だと思う。

今年からは若い世代が中心となって運営。

また名(地区)の垣根を越えて模擬店に協

力出店いただき、本当にありがたい。来場

者もさまざま、久しぶりに帰郷した方や新

しく移住した家族などで大いに賑わった。

 

地元のしずおさんが竹で作った流しそうめ

んには、多くの子どもたちが集まり、大人

気。そのあと大人も参加し、ヒグラシの鳴

き声をBGMに山間ならではの涼味を楽しんだ。

 

子ども腕相撲大会は小学生8名、中学生4

名が参加。白熱の腕相撲にステージ前から

声援が飛び交う。「○○行けー!」「○○

がんばれー!」。 ああ夏がもんて来たと

実感。何事も一生懸命取り組んだら気持ち

いい。

 

ペヤング激辛我慢大会R18も大盛りがりに。

というか、みなさん舌どうなってんの!?

6名参加してリタイアはなんと1名のみ。

わんこそば的に用意していたミニミニ容器

をすべて平らげ、結局残った参加者5名で、

じゃんけんによる決着。

 

懐かしの定番ゲーム、叩いてかぶってじゃ

んけんポンでも子どもたちは真剣勝負。子

どもたちの表情がとてもいい。ちなみにス

テージは田舎ならではの軽トラを並べて作

った紅白幕のステージ。

 

バケツに水を張り、会場数カ所に置き、そ

の周りで手持ち花火を楽しむ。浴衣姿の子

どもたち、線香花火がその小さな手元に咲く。

 

フィナーレは地元胡蝶連による阿波踊り。

最後には来場者も参加し、渦を撒くように

みんなで踊る、踊る、踊る。「ヤットサー」

「ヤットヤット!」。遊びをせんとや生ま

れけむ、今宵誰もが踊りの名手。

 

そしてお開きの後、突然の大雨。片付けも

ままならないほどの激しい雨にみんなもう

大笑い。かくして完全な片付けはできず明

朝へ持ち越し。となれば打ち上げ会場へ!

              2023.8.20

 

 

 

日中は上勝特産の晩茶の茶葉摘みや花木の

出荷、撮影取材、夜は消防団の点検やお盆

の集いの準備、地区対抗バレーボール大会

の練習や出場などで毎日慌ただしい。

猛暑で55歳のおじさんには少しバテ気味だ

が、地域で柱となって奮闘している若い衆

(わかいし)が日々の仕事を終えてからも積

極的に集まってみんなを盛り上げてくれる

からありがたい。

 

過疎化で私たちの下の次世代である40代後

半が長らくいなかったが、今は40代前半や

30代、また息子世代である20代が多く地元

で暮らしているので頼もしい。

 

嬉しいのは彼らが自分たちの集落の活性化

を楽しみながら継承し始めていることだ。

夜遅く標高400メートルにある山の上のわが

家に戻ると静寂の中、まるで曜変天目のよ

うな、月に照らされた鱗雲が無限に広がっ

ていた。

​                                                           2023.8.4

 

 

草刈りをしていたら、生い茂る草の奥の方

で蜂が巣作りを始めていた。

スズメ蜂だろうか、しかし少し小さい。

 

昨年は、同じ段々畑のひとつ下の畑でスズ

メ蜂に急襲されてしまった。

11月も中旬だったので冬に近いことからも

う巣は作っていないだろうと草刈り機で勢

い良く刈っていたら、次々とスズメ蜂がや

って来て背中を3ケ所刺されてしまった。

 

蜂には刺されたことは何度もあるが、スズ

メ蜂のそれは太く深い感じである。

さすがにその時は診療所に行き、点滴を打

ってもらった。

なので今年は用心しながら草刈りをしてい

る。

 

翌日、巣を退治にしに見に行くと、雨ゆえ

かどうかは分からないが、蜂の姿がなかっ

た。巣は胴体の丸い徳利を逆さにしたよう

な形。ソフトボールくらいの大きさだ。

後で調べて分かったのだが、コガタスズメ

蜂の巣であったようだ。

撃退スプレーを吹きかけ、巣を落とすと、

すぐコガタスズメ蜂がやってきた。猛烈に

スプレーを噴射し、こちらへの反撃をとに

かく避ける。

 

それから数日後、早朝に別の畑で草を刈っ

ていたら落下した徳利型の巣をまた見つけ

てしまった。よくもまあ、コガタスズメ蜂

に刺されなかったと奇跡的な運に感謝する。

 

蜂がいないのを確認し、コガタスズメ蜂に

は悪いが、すぐさま巣を潰す。

 

                      2023.7.25

 

 

 

机仕事をしていると、どこからか喋り声が

聞こえてくる。書斎は納屋の2階なので、

倉庫になっている下の階に誰かいるのだろ

うか。それともラジオを点けたまま周波数

がずれてしまっているのだろうか。

しかしいずれでもでもないようだ。

 

仕事の手を止め、耳を澄ましてみると、声

の主が分かった。テーブルライトのそばに

置いていたドロバチの巣(土を固めて作っ

たもの)であった。

手に取ると振動音がし、無線で何か喋って

いるような音がする。

もうすぐ羽化して外に出てくるのだろう。

 

以前、草刈り機がどうにもこうにも掛から

ないので困惑していたら、地元の先輩が言

っていたエピソードをふと思い出した。ド

ロバチがマフラーに巣をしていて、それを

除去したら掛かったという。

見ると案の定、土の塊がマフラーに詰まっ

ていた。

 

そう言えば、原付バイクのマフラーに巣を

していて、掛からなかったこともある。こ

の時も土を取り除いたら掛かった。

 

日中用事を済ませて書斎に戻ると、ドロバ

チの巣は、一つだけ開いていた穴が、さら

に5つほど開いていた。

部屋の窓は開け放したままだった。

周辺に蜂の姿はなく、またラジオのような

話し声も巣からはもうしない。

小さな土の巣だけが残っていた。

 

                          2023.7.14

 

 

 

草刈りの時期ど真ん中である。この前刈っ

たと思ったら一面にもう激しく伸びている。

黄金ヒバ(生け花で使用される、わが家の

商品)の苗木というのは、弱いもので、自

分の背より草の方が高いと思うと枯れてし

まうのである。

 

いや「思う」という表現は適切でないかも

しれない。「感じてしまう」いや「高く覆

われてしまう」が適切なのかもしれない。

要は、草の勢いに負けてしまうのだ。

祖母は苗木の周りに草が生え出したら、お

世話してあげんといかんとよく言っていた。

 

これはまた違う話だが、野菜の苗というの

は、買ってきてすぐに畑へ植えるのはよく

ないようだ。

しばらく軒先等で置いておくのがいいらし

い。つまり、やって来た環境にしばらく慣

らすのがいいらしい。気温や湿度、高度な

どいろいろあるのだろう。野菜の苗も入社

したばかりの新米も一緒だなと思う。すぐ

見ず知らずの土地に植えてしまうと、枯れ

ることがある。

となると、野菜はやはり「思って」いるの

でないか!? ともかく「感じて」いるの

だ。

 

山の上で草刈りをしていると、ふと隙を突

かれて背中を叩かれるように、誰かの言葉

を思いだすことがある。今、生きている人

もそうだが、どちらかと言うと、亡くなっ

た人の言葉であることが多い。

 

汗でびしょ濡れになった長袖シャツの袖で

額をぬぐい、草切れのついた眼鏡をふきな

がら、標高400mの段々畑の畦に腰掛ける。

山並みを眺めながら、亡くなった人のこと

や言葉を反芻する。

 

そして今、自分がここにいること、汗や土

にまみれて生きていること、山で暮らすこ

とのささやかな喜びを亡きに人に向かって

素直に吐露する。肉体労働には、己が内面

の深層に沈ませ、交わることもなく長らく

放置していた「心」の回路を再び繋ぐ作用

があるように思う。

 

              2023.7.9

 

 

 

 

夜明け前に目が覚めて、窓の外に目をやる

と白い霧が浮かぶ山並みが見える。もう何

度この光景を見て来ただろう。山の谷から

巨大な生物のように霧が湧き上がり、風に

なびいて移動していく。

 

山に暮らしていると水がいかに大切な液体

であるかを日々の暮らしを通じて実感する。

水が枯れずにあること、水質が良いこと、

そして冬は時折凍って困ること…。水なく

していかに生活が不便か。調理、洗い物、

洗濯、入浴、トイレ…。

 

山から川、里、街、海へと、水は子宮のよ

うに繋がり流れ、空へと蒸発しまた山に降

り注ぐ。

 

朝目が覚めると、台所へ行き、グラスに水

を注いで少しずつゆっくり飲む。水は乾い

た口を潤し、喉を伝い、食道を通り、胃に

入り、腸へと届く。お腹がグルグルと鳴り

始める。一杯の水が体を目覚めさせ、頭脳

を明晰にさせる。朝飲む一杯の水の効用は、

中学生の時に音楽の先生から教わった。

 

我が家の水は家から約30分ほど歩いた山中

から臍の緒のようにホースで引いている。

 

杉と雑木に覆われた林の下に岩があり、そ

こからちょろちょろと出てきた岩清水だ。

昔はホースではなく、竹を使って水を通し

ていたのを覚えている。さらに前は水汲み

に行っていたようだ。80歳代半ばの叔母は

小学生の時に水を汲みにいくのが学校から

帰ってからの日課だったようだ。

 

周辺には松が点在しており、秋にはよく松

茸が採れたらしい。数年前、その話を聞い

て出かけてみたが、松はまだあるものの、

松茸にはお目にかかれなかった。

 

このあたりは雑木林ということもあり、よ

く炭焼きもしたようだ。今もその窯跡がい

くつか残っている。

父は10代半ばから炭焼きをしていたようだ。

父の弟が中学生の時、修学旅行に行くお金

がなくて、ずいぶん寂しい想いをしたが、

兄である父がそれを炭焼きで稼いで工面して

くれたらしい。

 

叔父が昔、目をうるませて話してくれたの

を今も覚えている。

 

               2023.7.5

 

 

 

 

 

この季節歩いていると、道路で子蟹をよく

見かける。アスファルトの上を素早く横歩

きで横断していく。逃げる時、蟹は横歩き

だが、海老は後方にビュンと逃げる。生き

物にも将棋の駒のようにそれぞれに特性が

あるものだなと思う。

 

歩いていると普段気づいていなかった事柄

や感情に気づくことがある。

季節の移り変わりはもちろん、校正をして

いる時には見落としていた誤字になぜかふ

と気づいたり、行き詰まっていた原稿の続

きが突如出来たり、悩んでいたことを前向

きに捉えて決断できたりするから不思議だ。

 

ニュートラルな状態を普段の暮らしの中で

意識して作ろうと心掛けている。

空っぽというか、頭や体を休ませるという

か、要は休憩である。お茶淹れて一息する

時間がいかに大切かとこの頃はよく思う。

歩くのは休憩ではないが、案外、空っぽに

近いリフレッシュ効果があるように思う。

 

                                      2023.6.30

 

 

 

毎月一度、焼肉とご飯を食べて集う会があ

る。大体10名くらいが夜7時の開始を目

指してIさんのお店にやって来る。あらかじ

め火で熱しておいた石焼きの上に牛肉や野

菜を乗せ、じっくり焼いて頂くのだが、こ

れがたまらなく旨い。

 

炊きたてのご飯に焼肉をワンバンして食べ

る幸せ。同じような笑顔が10人分ニコニコ

と周りに咲いている。私はここで焼肉たれ

をつけてピーマンを生で食べるとおいしい

ことを知った。シャキシャキとした食感と

ピーマン特有の青の香りが鼻腔をぬけて爽

やかだ。

 

焼肉を食べて1時間ほどすると、ぼちぼち

ショーが始まる。

 

焼肉参加者10名の中から順番に挙手でステ

ージに上がり、ピアノに合わせて歌ったり、

ギターで弾き語りしたり、観客は時にジャ

ンベやコーラス、手拍子で参加したりと約

2時間ほど続くのだが、これが楽しい。焼

肉を食べながらのライブ! ひと月に1回

なので、それぞれに演者は練習を積み、定

番曲や新曲、オリジナル曲に磨きを掛け、

披露する。

 

MCが上達する人もいれば、声の張り方が

よくなった人やとにかく1曲最後までちゃ

んとやり切れるようになった人などなど。

旨いヘタの評価だけでない、多様性という

か、それぞれの成長を体感することで、あ

あ私も頑張ろう、今度はこういうのに挑戦

してみようと次回焼肉ライブ開催!への希

望が膨らんでいくのである。

ステージでしくじっても、焼肉を食べてビ

ールを飲めば、その旨さで笑顔になるとい

うのもいい仕組みである。山の暮らしは楽

しい。

 

                                               2023.6.21

 

 

 

窓から入る、夜風が気持ちいい。山里ゆえ

の物静かな夜8時。ボーイングが上空を切

り裂いて飛行するその響きに反応して夜空

を眺める。赤色を点滅させながら星の中を

進む旅客機を目で追いながら、これからど

こかへ向かう人や帰ろうとしている人たち

のことを山の上でふと想う。

 

今年はホタルがよく飛んでいると聞く。長

らくホタル鑑賞に行っていない。ちょうど

今時分、夜8時ごろがピークなのを思い出

す。でも6月も半ば。もう飛んでいないか

もしれない。

 

このところ夜道では、野ウサギによく出会

う。野ウサギは車のヘッドライトに照らさ

れて驚いて走り出すが、必ず途中で立ち止

まる。危ないので、こちらも停止するが、

しばらく動かないので痺れを切らしてゆっ

くり前進すると、ようやく走り出してくれ

る。が、また途中で立ち止まる。そんなこ

とを数度繰り返していると、やがて獣道に

逃げてくれる。

 

ウォーキングを始めて2ヶ月近くになった。

このところ毎日のように1時間ほど歩いて

いる。歩き始めるとそれが習慣になり、小

雨くらいなら歩いている。お腹の脂肪はな

かなか減ってくれないが、足の筋肉はつい

てきたように思う。歩んでいれば必ず辿り

着く。一歩ずつ前へ。1日4kmなので30日

で120km。お遍路さんの一周が1400kmと

して11ヶ月半が経った頃には、私の体型も

変わっているように思う。

 

             

              2023.6.15

 

 

深夜遅く、ふと目覚めると読書灯を点けた

ままだった。枕元には眼鏡と、読みかけの

文庫本、大竹伸朗『見えない音、聴こえな

い絵』(ちくま文庫)。友人がジーンズの

ケツポケットからおもむろに出し、これ、

と白河清澄のコーヒースタンドでくれたも

のだ。表紙はすでにボロボロで、ページの

ところどころが溢した珈琲だろう、薄茶色

で染まっている。

 

暗闇の中、ホッホー、ホッホーと鳴き声が

響きわたる。どこか近くで、フクロウが鳴

いている。布団の中でその鳴き声をしばら

く聴いていた。平べったくて丸い、フクロ

ウの顔を想像してみる。この辺に今いるの

だなと思うと、うれしくなる。

 

文庫本を手に、開いたままのページを読み

始める。珈琲のシミを眺めていると、文章

が頭に入らず、ふと写真のシミのことを思う。

 

シミだらけの写真は、まっさらな写真には

ない、凄みがあるなあ。それなら今度、楽

譜かなにかこれと思える本に写真やメモや

らをとにかく日課のように貼り付けていっ

て私家版写真集を作り、ボロボロになるま

で手元にいつも置いて眺めようと考える。

どんなものが出来上がっていき、経年変化

していくのか。フクロウの鳴き声を聴きな

がら、目を閉じていろいろ想像してみる。

                     

                                                  2023.6.1

 

 

世界の不均衡さは全てひとり一人の中にあ

るのだとばかりこの世界を睨みつけながら

彼女はギターを激しく掻き鳴らして歌って

いるように思えてくる。

突風が横から吹いて、彼女の髪の毛をなび

かせていく。

 

私はその鋭い眼光にひとすじの希望のよう

なものを確かに感じながらわなわなと心を

震わせている。

サウンドホールの上のトップ板は激しいピ

ッキングで傷だらけで生々しい。

その歌声を聴くと、涙が止まらないのはど

うしてだろう。

時に声をうわずらせ、全身で荒々しく弦を

響かせ、蓋をしていた感情を内奥から吐き

出すように力強く歌う。

 

つげ義春を思い起こさせる切ない日本語で

今にも泣きそうな表情で歌っている彼女が

東京にいるのだと思うと、それだけで幸福

な気持ちにさせてくれる。

 

私の中で燻り続けている様々な感情を種と

肥料にして、それを花の芽に変えられるの

でないかと錯覚さえさせてくれるのだ。

 

              2023.5.21

 

 

西陽で電柱の影が建物の白い壁に出来てい

るのかと思ったら、そうでなかった。

影と思っていたものは、実際は絵であった。

電柱やドラム缶のような変圧器、複雑な電

線等のシルエットが仔細に描かれているの

だった。その上に今現在の光線による本当

の影が出来ており、絵と影が織りなす建物

の壁は刻々と変化していく重層的なコラー

ジュと化している。

 

現代美術館へと向かう途中にこういうもの

を見せてもらうと、今日はもうこれで十分

なんじゃないか、と思いかける。

 

それにしても東京はよく歩くなあ、と思う。

いや、田舎にいるとどれだけ歩いていなか

ったのかと普段の暮らしを省みて恐ろしく

なる。歩こう。

 

夕暮れの低い角度からの光が道端の草花を

照らし、軒先や壁や道にその影を歩く先々

で生み出している。幻燈機のように壁に映

る文字、停めてある自転車がオブジェのよ

うにその後輪だけをくっきりと露にした軒

先、シド・ヴィシャスの頭髪のようにツラ

ラ型に突起したアロエの影……。突如日常

にぽっかりと出来た空想の世界に迷い込ん

だようで、私はこんな光と影が織りなす時

間がたまらなく好きだ。

 

                                                      2023.5.14

 

 

歩き始めてから変わったことと言えば、ま

た明日も歩きたいと自然と胸の内から思い

始めたことだ。

都合や天候もあって毎日ではないが、週に

2、3回は4kmを歩いている。これを1年

間は続けたいと思っている。

少しの距離でも歩くのが億劫だった自分が、

最近では山坂を下って5kmはある商店まで

歩いて買い物に行ってみようかなと思い始

めている。

歩くのが楽しいのだ。

 

歩いていると頭が空っぽになってスッキリ

としていく。今日も午前中の農作業が一区

切りついたあと、嬉々として歩いてみた。

走りたいなと思った時は、無理しない程度

で走る。目的地まで着いたら、屈伸運動し

てまた歩き出す。

岩肌を清らかに流れる沢水の音が近づいて、

やがて豪快に響き渡り、少しずつ遠のいて

いく。歩く速度ならではのフェードインと

アウトが心地良い。

 

目に映るもの、耳に飛び込んでくるもの、

頬に伝わるもの、何もかもがうつくしい。

穏やかな日常に、心底感謝する。

 

それはそうと、今年は季節が前倒しで進ん

でいる。いつもなら GWに咲く藤の花がも

う散りかけ、桐の花が咲き誇り、オオデマ

リの花が満開になり、随分と慌ただしい

 

 

                                                2023.4.27

 

 

ぽっこり腹が、重たい。赤ちゃんなら可愛

いが、なんせ55歳のオヤジである。

 

日曜の昼過ぎ、校正を終えて外に出たら、

気持ちのいい青空が広がっていた。ちょう

どジャージだったので、お天気に誘われる

まま、ウォーキングシューズを履き、歩い

てみることにした。

 

家は標高400m。車道を歩いて下へ進む。

近くを流れる沢の水音や野鳥の鳴き声がい

つもとは違ってくっきりと澄んで耳に飛び

込んでくる。無理するつもりはないが、早

歩きでいく。杉木立の間から射した光と影

の車道をぐんぐん進む。

何だろう、歩くのって悪くないかも。気づ

いたら九十九折りを降りて広域農道まで降

りてきていた。ここからは道幅も広く、傾

斜も平坦なので比較的楽だ。

 

とりあえず今日の目標は、名総代の棚田ま

で行って帰ってこよう。帰り道は途中から

きつい坂道になるなあ、と漠然と思う。

 

それにしても何年ぶりだろうか。30代前半

は意識して夕方になると1時間程歩いてい

たが・・・。それ以来だな。

 

車と違って歩きなら、いろんな事物がダイ

レクトに目に飛び込んでくる。ヨモギがい

っぱい茂っているなあ、イタドリも伸びて

きたなあ、こんな風にこの木は剪定するん

やなあ、などなど。棚田までは思いのほか

早く着いた。今の私なら30分はかかると思

っていたが20分もかからなかった。

 

今日の目的がまずは達成できてうれしい。

帰り道も気が重たくない。初めてのウォー

キングにちょうどいい距離感だったとひと

り得心する。少しずつだが汗ばんできてい

る。息も上がってきだした。と同時に雑念

もなくなっている。

ただ歩いている。

 

何だかすいすい進むので、広域農道と交わ

る坂道まで、そうかからなかった。さすが

にここからはしんどいぞと思ったが、あれ

れちゃんと進んでいるでないか。

どういうことだ。ペースこそ落ちているが、

しんどいとは思わない。家にたどり着くと

ちょうど出てから40分だった。

 

柔軟体操したあと、気になって距離を計算

してみる。往復約4キロメートルであった。

こういうストレス発散はいいな、毎日でな

くていいから、続けてみよう。

 

                        2023.4.19

 

 

書斎の裸電球の傘は、徳島市二軒屋の骨董

通りで買った。乳白色のいわゆる昔ながら

のガラス製で、もう25年以上になる。

 

昔のもの、あるいはレトロなものが好きで

生活道具として使っている。それは、誤解

を恐れずに言えばたとえば、手仕事が持つ

特有の心地よい揺らぎ、あるいは機械で作

られたとしてもその不均一性が好きだから

と思う。

 

見る角度によって違う反射する光、手のひ

らに寄り添う感触の一つひとつの違い、そ

うしたテクスチャーが好きなのだと思う。

触れたくなるものには、いつも揺らぎがあ

るように思う。

 

夕暮れどき、裸電球の傘の上にあるスイッ

チをひねって明かりを灯す。その所作で、

電球は小さな円を描きながら動き始める。

そして影絵が壁に揺らめきだす。

 

裸電球が、ほぼ、ま横から照らした、棚の

上に並べたいろんな小物たち。

 

娘が作った縄文土器のようなうつわ、けん

玉、息子が作った恐竜の骨の模型、阿波踊

りの男踊りと女踊りでバランスを取って動

くやじろべえ人形。それらが一斉に影絵と

なって踊り出す。

 

毎度のことながらその瞬間、ふだん動かな

い愛おしい物が生命を宿したみたいで、た

のしくなる。

                                   

                                                        2023.4.5

 

 

デジタル一眼レフカメラが壊れた。修理受

付終了らしい。

 

昨年だったか、一昨年前だったか、直して

もらったばかりなので残念である。

 

レンズを通してカメラ背面に浮かぶ液晶の

光景が激しく明滅し、シャッターが全く切

れない。しかし、電気接点のない自作のピ

ンフォールレンズ(針で開けて作ったアナ

ログのレンズ)を装着すると、背面の画面

も静止画となってシャッターが作動するこ

とを確認。

 

なら、とピンフォールカメラにする。

撮っていてさらに気づいたのだが、シャッ

タースピードはどうやら露出にほぼほぼ連

動していない様子。一体どうなってしまっ

たのやら…。

 

なのでピンフォールの露出調整は笑う話だ

が、ISO感度変更で行う。といっても、そ

もそもレンズはピンフォールであり、壊れ

たカメラなのだから、まあカンで撮影とい

うことになる。

 

なので、まったくデジタルの恩恵がない? 

のかもしれない。いや極めてアナログな世

界をデジタル処理してくれるキワモノでも

ある。

 

ピンフォールで写るなら、と勢いマウント

アダプターを購入する。箪笥に眠っていた

ニコンのオールドレンズを取り出す。ニッ

コール20ミリf4。装着してみると、写った。

シャッターが切れるよ。笑う。

 

この壊れたカメラだから表現できるものが

あるのだろう。この子にとってカメラ冥利

に尽きるようにと思う。

 

何かが写るというのは、実はそれだけで嬉

しい。そして楽しい。で、この瞬間を超え

られるのだ。

                                                   2023.3.16          

                     

 

写真は撮ったことも、撮られたことも忘れた

頃に見るのがいい。

 

それは片付けをしている時や、あるいは探し

物をしている時に不意に引き出しや箱の中か

ら現れる。

 

写った自分を見て今とは違う肌理や体形に驚

く。そしてメガネや髪型、服装にその時代が

あからさまに表れていてなんだか気恥ずかし

いが、同時にその頃の自分に愛おしさのよう

なものをそっと抱く。

 

撮った写真を見て、その頃はどこに居たのか、

よく遊んでいた人たち、学ぼうとしていたこ

と、していた仕事、よくも悪くも何にこだわ

っていたのか…。

 

時間は不可逆だから、だからこそ感傷と同時

に愛おしさを覚えるのかもしれない。そして

もうそこへは戻れないのだ、と確かに気づく。

 

今、こうして写真を見ている「今」もまたそ

の先で見られるなら、感慨深いのだろう。た

だ人生には終わりがあることもこの年になる

と分かっている。いつか、それすら出来なく

なるのだ。

 

たとえば、生きているうちにいっぱい、暮ら

しの音を楽しもう。それを台所から奏よう。

大切な人と食卓を過ごしたいと思う。

 

そして写真をいっぱい残そう。それはブレて

いたり、ぼやけていたり、変な顔で写ってい

たりした方がかえっていいこともあるのだ。

たまたま誰かの引き出しから現れた写真を見

て、その人が微笑んでくれたらと願う。

  

 

                                   2023.3.7

 

 

過日。山に用事で帰ってきた妹家族が庭先でバーベキューを始めたので、その灰が上空を舞っているのかとも思ったら、雪だった。今しがたまで青空が広がって晴れていたに…。雪は山の上の方からどんどん降ってきて、わたしたちの頭上を舞い上がっていく。

 

昨日は白梅の花びらが舞っているのかと思ったら、山肌に沿って吹いてくる雪だった。ハンドルを握るフロントガラスの先で花びらのような雪が舞い散る。雪は山道を上昇するにつれ激しさを増し、視界を白い吹雪に変える。

 

まだ蝶々を見ていない。春先にひらひらと舞う白い蝶々も雪のようだと思う。あれは雪の残像、それとも化身だろうか。モンシロチョウをよく見かける菜の花が山里で咲き始た。小さな黄色の花の陽だまりを眺めていると、背中から暖かい。

 

                                                         2023.2.22

 

 

 

 

このところ、よく道端で猿に出くわす。先日は親子で見かけた。子猿は柑橘のゆこうを食べていた。酸味が抜けて、みかんのように食べやすくなったからかもしれない。収穫せずに生らしたままの木からおそらくもぎ取ったのだ。

 

この春はタケノコがあまりないかもしれないとも、山里ではひそかにささやかれている。イノシシが食料を求めてあちこちと土を掘りおこしているらしい。また石垣が崩れたとも。石垣の間のおそらくミミズか、何かを求めてのことだろう。

 

昨年はイノシシが街中に出没して各地ニュー

スになった。動物と人の「境界域」がどんどん下に降りてきている。今日は県道まで降りてきているペアの猿に出会う。ここまで降りてきているのは、冬場というのもあるが、山にエサがないからだろう。

 

里山を長年、黙々と手入れしてきた山に暮らす人が高齢化し、また亡くなってきている現実もある。高度経成長以降、農村人口は都会へ流出した。そして今、動物も街へ食料を求めて山を降り始めている。

 

               2023.2,.11

 

 

 

 

 

 

最近はよく人の気配と間違えて、影に驚くことがある。そんなことを話そうと思ったら、ゆうげの時に妻が同じことを喋り始めた。ともに目が悪くなったのか、それとも老人力がつき始めたのか。誰かいると思ったら、ただの影だったということが、お互いたまにあるのだ。

 

以前、雑誌に書いたことだが、裏山を登っていたら黄金に輝く観音様を見た。思わず息を飲み、立ち止まる。夕陽を反逆光で浴びた辛子菜が咲き誇っている立ち姿だった。父が好きで春に漬けものにしている辛子菜の種が畑から風に飛んで、坂道の真ん中で着床し咲いたのだ。

 

宮沢賢治の『注文の多い料理店』の中でも特に私はその序文が好きなのだが、

「はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました」というフレーズを、その辛子菜を見た時に思い出した。

 

それからは畑仕事していてもよく目を凝らすようになった。名も知らない小さな枯れ草の穂が光を透かして米粒のように幾つもきらきらと輝いているのを畑の畔で見つけた時はカメラを取りに急いで家まで戻った。今は畑仕事に行く時は、鎌や剪定鋏や手拭いを持つのと同じ感覚でカメラをさげていく。

 

                                                 2023.1.27

 

 

 

                                        

写すは、移す。

目の前の風景をフィルムへ。

フィルムから印画紙へ。

そこにはいつもカメラ内や暗室の「闇」と束の間の「光」がある。

 

車や電車などの移動は写真そのものだといつも思う。目の前の景色は視界に入って、横を通り過ぎて、後方へ消え去っていく。

現在が、どんどん過去になっていく瞬間。

シャッター音が頭の中に響く。

 

引っ越しの希望と切なさもまた写真である。

住み慣れた部屋が、最後に空っぽの容れものになった時の感慨。長く暮らした町を離れていく時、車窓を流れていく日常。新しい町の見慣れない風景。これから住み始める空っぽの部屋に荷物を運ぶ時の期待や不安。

 

移すは、写す。

あそこからここへ。

ここからそこへ。

その先へ。

 

               2023.1.19

 

物静かな午前11時。

順光が裏山に降り注がれている。

葉や小枝を風がゆるやかに揺らしている。

何もかもを等価に照らす順光には、安らぎのようなものをいつも感じとってしまう。

 

冬は野鳥を見つけやすい。

木々は葉を落とし、草は伸びていないから。

暖かい陽に誘われて出てきた虫を見つけたのだろうか。ジョウビタキがちょこまかと低木の間を跳ねている。

 

土の中からふきのとうが顔を出すように、針葉樹も落葉樹も畑も土も谷水もすベてが日光浴をしながら少しずつ春に向けて力を蓄えている。軒先に干された大根や吊るし柿が順光をまっすぐに浴びている。

山の上で生涯暮らしてきた祖父母が庭先のひだまりで椅子に腰掛けている姿がふとまぶたに浮かぶ。

 

                                                         2023.1.9

 

 

 

 

朝目覚めた時に初めて目に映る光景。カーテンの隙間から漏れるレース越しの淡い光。首元まで被っている毛布のやわらかな感触を夜明け前の光が静かな調子で伝えてくれる。

 

部屋の明かりをつけずに水を飲みに台所へと立つ。シンク横の窓から入る光が磨りガラスで一度ろ過され、水を注いだグラスの曲面をやさしく包んでいる。テーブルの方へ向き直ると裏山の何てことない草木が一幅の絵のように窓越しに映えている。

 

暗がりの部屋のなかにいると、カメラのなかに入ったような気になる。

 

家のあちこちにある窓から覗く小さな景色。

茶の間の向こうの紫陽花。通路の横のはめごろしの先の山茶花。書斎の南から広がる山々。その北側の格子窓の上にある栗の木、表の間から見える桜の木…。時刻や季節によって移り変わる光がまた別の風景に変えてくれる。

 

暗がりの部屋のなかにいると、やはりカメラのなかに入っていると気づく。

 

大きな曇りガラスから入るサイド光は質感描写に優れて見飽きない。フェルメールの絵のように人物や物の陰影をたたえ、窓から離れていくに従い、緩やかに落ちていく繊細な光が愛おしい。

 

                                                        2022.12.28

 

 

 

 

朧げな写真はどうして懐かしく感じるのだろう。いや過去に撮られた写真の話でない。

今しがた撮影した写真なのだ。

くっきりとした写真にはない、曖昧ゆえの、夢うつつな光と影。

 

めがねを外して見た時の、近眼の私の現実。

具象が抽象化された状態。

焦点のぼやけた写真はあえかで、

消えいりそうがゆえに回路の入り口となって、静かに遠い記憶へと誘う。

 

初めての記憶は、何だろう。

 

街の保育園に通っていた、4歳のころだろうか。園児はみんなお迎えが来て、私一人だけが保育園に残ってぽつんとブランコに乗っていた。先生がずっと心配してそばにいてくれて、そこへ仕事帰りの父が迎えに来てくれ、トラックの助手席に乗って帰ったのを覚えている。

「よかったね!」と先生が明るく言った記憶が、今ではもうはっきりしなくなったその笑顔とともによみがえる。たぶん母に何かあったのだろう。

 

その頃は長屋住まいで家に風呂はなくて、よく通っていた銭湯で大きな浴槽を前に、今は亡き母に抱えられ、その柔らかな太腿を枕にして髪の毛を洗ってもらったのを思い出す。お湯は熱かったのでシャンプーを洗い流す時に、手で少しずつ掬いながら、髪の毛に掛けてくれた。

 

「ああ…、ここだった」。

二十年前、その銭湯を見つけた。ちょうどわが息子が4歳ごろで、同じ年頃だった自分が住んでいた街のことを思い出して息子と訪ねてみたくなったのだ。

もう営業はしていなかったが、蔦に覆われてその建物は煙突とともに残っていた。自分でもよくわからない、目頭が熱くなったのは、幼い頃を思い出してだろうか。それとも私も同じ年ごろの子を持つ父になったゆえか。しばらく立ち尽くした。

                                                                       

               2022.12.22

 

12月。すれ違うクルマのほとんどがヘッドライドをつけている。時計を見ると、まだ5時前だった。空はもうすでに暗く沈みかけている。冬は、呆気なく一日が終わる。今さっきまではっきり見えていたものを矢継ぎ早に隠していく。ハンドルを握り、家路に向かう。

 

人工のさまざまな光が悲しい目つきで冷えはじめた街の交差点を覆う。まばらに灯った高層マンションの部屋のあかり。鏡面上になた暗闇の窓に映った他人の横顔。川の上、トラス橋を走っていく列車から漏れる蛍光灯がスリットになって明滅している。

 

昨夜どうしてもっと丁寧に伝えられなかったのだろう。いい年をして、自分が嫌になる。相変わらず何も変わってないなとため息が出る。また大切な人を傷つけてしまった。

 

何もない夜。横を見たら、月がいる。一緒に走る。

 

 

               2022.12.16

 

暗箱の中には何もない。いや正確には、闇がある。暗箱をダークルームに持ち運び、箱の上蓋を開け、印画紙を下箱に貼り付ける。再び暗箱を閉じて、ダークルームを出る。

箱の中には今、闇と一枚の印画紙がある。

 

暗箱の上蓋中央には、針穴が開けられているが、黒いテープで塞がれている。今日どこかで、この黒いテープをそっと外すつもりだ。

さて、どこで、それを行うか。梶井基次郎の『檸檬』ではないが、自分だけの秘密。高ぶる衝動のようなものがある。暗箱が光を通す時、世界は反転して飲み込まれる。暗室作業で、それを再び反転して、正像に戻す。

 

標高400mのわが家よりさらに上にある集落は、家は残っているが、そこに暮らしてきた主人の人影はもう少ない。ここ十数年で、わが家の上も下も空き家が増えていった。いずれはわが家も含めてこの辺りは誰もいなくなるのだろうか。

 

毎年春になると山のてっぺんの集落に植えられた、大きなしだれ桜が満開に咲き誇る。風に吹かれて、ひらひらと花びらが空へ舞い散るのを見たことがある。秋には満月の夜、大きモミジの木の葉がきらきらと照り輝く。

 

暗箱を抱えたまま、結局その日はどこへもたどり着けなかった。いや彷徨したのだが、ついぞテープを剥がす機会に出会えなかった。暗箱に私は何を期待しているのだろう…。

闇から出た、一枚の印画紙に定着したいこと。

 

               2022.12.13

 

 

光が家の外壁にあたってゆらゆらと揺らめいていた。その壁の真下にある花卉用の水槽に貯めた水にあたった光が乱反射しているのかと思ったらそうではなかった。

 

外壁から4mほど手前にある貯水槽の水面にあたった西陽が反射した光だった。壁をスクリーンに映し出された光の中で、ハンガーの一部が影となっている。壁の1m前にある物干し竿に掛けたハンガーの肩の部分だった。水槽には山から引いた水が常時注がれているので、水面はいつも揺れている。だから反射した光も不規則に動いて、幻燈機のようだ。

 

小学生の頃だったか、天井に反射する光の輪を授業中にふと見つけた。黒板に先生が向かう時、光は少しずつ動く。金属製の筆箱だっただろうか。

窓際に席があった同級生の仕業だった。授業中、静かに天井の上を這う光を目で追うのは秘密のコミュニケーションのようで、なんだかどきどきしたのを覚えている。

 

何気ない日常で反射する光を見つけた時は、そんな記憶もあってだろうか、懐かしい気持ちになる。

冬の日、アラジンのストーブにあたった光がその輪郭の影を床の上に落とし、熱で温まった空気がめらめらと上昇していくのを映し出している。

                                                             

                2022.12.4

 

 

 

 

 

 

 

Beyond the light

標高400mの不便な毎日、愉しい暮らし
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